撮影日記 2004年4月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
  

 2004.4.30(金) 黒い被写体
 (写真撮影の話)
 黒くて光沢のある物体の撮影は、一般に難しい。特にスタジオで撮るのが難しい。
 例えば、今日の画像の昆虫の背中には、僕が使用した照明の明かりが白っぽく写ってしまっている。
 下手をすると、まるで背中にそんな模様があるかのように、受け止められかねない。
 それを防ぐためには、いくつか方法があるが、どの方法を選んでも、今度は、黒い部分が全体に、やや白っぽくなってしまい、昆虫の黒さが半減する。
 そこで、なるべく照明が写り込むのをを抑えつつ、黒さもそこそこに表現できるように工夫をしながら写真を撮る。先輩の本を開いてみたりもする。
 今日は、昆虫写真の海野先生の「カブトムシの百科」という本を参考にしてみた。海野先生の本を見ると、黒い虫でも、今日の画像よりもう少し上手く取れそうだ感じた。
 ただこうした撮影は、所詮スタジオで撮影する標本程度のものなので、躍起になって撮るものではない。機会があるごとに、常に前回の撮影に改善を加え、少しずつ上手くなればいい。

今月の水辺を更新しました。

*撮影データ ニコンD70/105マクロ/ストロボ
 
 

 2004.4.28〜29(水〜木) 憧れの模様

 なんという名前のカタツムリだろう?
 僕がよく撮影しているツクシマイマイに似ているが、分布からすると、近縁の別の種類だと思う。
 恐らくセトウチマイマイではないか?と、思うのだが・・・

 カタツムリは殻の色には変異が多く、このカタツムリも付近で色違いのものをたくさん捕まえたが、中には、
「これが同じ種類?」 
 と、不思議になるくらい色合いの異なるものが含まれていた。
 そうした点は、僕が見慣れたツクシマイマイも同じで、殻の色に変異が多いが、今日の画像のような色合いのものはツクシマイマイではまだ見たことがない。白い部分がもう少し茶色っぽいものなら、たまにツクシマイマイにも見られるが、ここまで茶色と白のラセン模様が見事な模様は、ツクシマイマイの色としては存在しないのかもしれない。
 ツクシマイマイの近縁の種類の中に、こうした色合いのカタツムリが見られることは、図鑑などで知っていたし、一度見てみたいと憧れていた。
 嬉しい。

 26日から28日の取材の間、たった3日間だというのに、不思議と女性からの感想のメールが集中した。
「自然は癒されますね。」
 というものや、
「もう少し大きな画像で見せてもらえませんか?」
 というようなメールも、中には含まれていた。
 ふと、風景っぽい花の写真を続けたからかな?というような気がしてきた。そこに、カタツムリの画像は場違いのような気もしたのだが、ずっと憧れていた模様のカタツムリだったので、敢えて掲載してみた。

今月の水辺を更新しました。

*撮影データ ニコンD70/シグマ15ミリ/ストロボ
 
 

 2004.4.27(火) 偶然

 いつだったか、ある出版社で写真を見てもらった時に、
「写真をはじめて何年くらいですか?」
 とたずねられた。
「6年くらいです。」
 と僕は答えたので、26〜7の頃だったのだろう。今から10年くらい前の話だ。
「一番写真が面白い時期ですね。みんな写真をはじめて5〜6年の頃が特におもしろいようですよ。」
 と、その編集者がおっしゃった。
 だが僕の写真は、それ以降も、年々面白くなっている。
 人の態度って正直だなと、時々思う。
 写真が面白くなると、それまで億劫だった早起きが難なく出来るようになった。撮りたいという情熱の方が勝り、まだ朝の薄暗いうちに勝手に目がさめるようになった。
 僕の身の回りには当然写真を撮る人が多いが、そうした点はほとんど例外なくみんなに当てはまるように思う。人はとても現金な生き物だなと思う。
 逆に、どんなに情熱があるふりをしても、無理をしている人は、どこかその行動に滲み出るような気がする。例えば、きっと無理をしなければ朝が起きられないことだろう。
 そんな人の写真は、見れば何となく分かるものだ。本人がどんなに情熱があるように語っても、いつも寝坊ばかりしている人の作品は、写真から、
「どっこいしょ」
 と、声が聞こえてきそうなのだ。やはり何かが滲み出るし、そんな写真を撮っている人は、全く通用していないように思う。
 お勤めの人なら、朝が辛いのも仕方がないだろう。誰かに管理される状況でアウェーで仕事をするのは、やはりストレスがかかることだ。だが写真家は、好きでなんぼの職業だ。
 
 今日は昨晩からの大雨で、カタツムリがとても活発だった。湧いているといっても言い過ぎではないくらい、多くのカタツムリを見かけたポイントがあった。
 そこに至るまでに、滝の撮影で急な坂道を数キロ歩いていたので、かなり足が重たくて、さらにその奥にある滝まであと30分歩くかどうか迷っていたのだが、カタツムリを見かけた途端に足が軽くなった。
 カタツムリを探しながらその先を歩いたら、あっという間に次の滝までたどり着いた。
 滝の撮影は、大雨の影響で滝壷が茶色く濁っていたので、正直に言うとほとんど諦めていた。だから、きっと足が重たかったのだ。
 だが今度は、いつもよりも水が多かったおかげで、滝をバックに花を撮影することができた。偶然と言えばそうなのかもしれないが、そんなことの積み重ねで、僕の写真は楽しくなっている。
 ある写真家が、
「偶然って確かにあるよ。でも、偶然は写真家が作るものだと思うよ。だって、写真を撮らなければ、偶然も生まれないでしょう。」
 と、以前に話してくださったが、その通りだと思う。

*撮影データ ニコンD70/AF 105マクロ
 
 

 2004.4.26(月) 機材の話

 昨日は、日記に僕自身のことを書いた。一昨日は、その日の撮影の中味を報告した。今日は、撮影機材について書いてみようと思う。
 カメラに興味がない人には、実につまらない話しだろうが、たまにはいいのではないか?と、考えた。

 (撮影機材の話)
 これまで、僕はいろいろなカメラを使用してきたが、本当に心を許せたカメラは、ペンタックス645N・ニコンF5・キャノンD30くらいだろうか。
 キャノンのD30は今や時代遅れで、画質の面では今ではちょい厳しいが、心を許せるカメラとは、必ずしも高画質な道具ではなく、最初に触った時から、
「うん、扱いやすい!よく考えられている!」
 と感じ、それがたくさん使いこんでも変わらなかったカメラのことだ。
 そして、つい最近購入したニコンD70も、やはり最初に触った時から気に入った。最初に触った瞬間とは、お店で触るのとはまた違う。カメラを買って自宅でそっと箱から取り出し、バッテリーを取り付け・・・、心置きなくそのカメラをいじくった最初の日のことだ。
 恐らくD70も、僕が心許せるカメラになっていくに違いない。
 まず、バッテリーが大変に長持ちする点、それからデータの読み込み等が速い点など、デジタルカメラ特有のストレスを全く感じなくていい点がすばらしい。仮に昆虫程度に動くものを撮影しても、RAWが実用の域に達したと言いきれるのではないだろうか?
 フィルムカメラの場合は、シャッターが切れる時の感触や、像の見やすさなどがカメラの基本性能だったが、デジタルになってからは、そこにバッテリーの持ち具合や、データの書きこみ速度などが、新たに付け加えられた。
 そうした基本性能が優れているのは、フィルムの時代からのニコンの伝統だ。デジタルになってもやはりニコンはニコンなのだと感じた。それを、初心者向けと言ってもいい、最も安い機種でやってのけた点が、僕は嬉しい。
 カメラが気に入ると、どんどん写真を撮りたくなる。D70を買ってからは、これまで、
「いいな〜」
 と思いつつ、カメラを取り出すことなく通り過ぎていた被写体に、レンズを向けるのが楽しい。今日は島根県で撮影したが、フジの花がとても美しかった。

 そうなるとD70用にレンズが欲しい。12−24ミリの超広角ズームは、写真雑誌に掲載された画像を見ていても明らかに画質がいい。デジタル対応と名の付くレンズは数本あるが、印刷された画像を見て、
「おっ、これ画質いいな!」
 と分かる、今のところ唯一のデジタル用レンズではないか?と、僕は感じる。
 喉から手が出るほど欲しいが、12−24ミリはAPSサイズのイメージセンサーを持つデジタルカメラ専用なので、将来35ミリ判フルサイズのイメージセンサーを持つデジカメが登場したときに、無用の長物となってしまう。それを考えると定価で10万を越える値段が高い。だが欲しい・・・

*撮影データ ニコンD70/AF ED Nikkor 80-200f2.8D
 
 

 2004.4.25(日) 原点に戻る

 大学生の頃、夜のサファリパークに閉じ込められたことがある。と言っても、動物が放されているあそこではなくて、駐車場での話しだ。友達とドライブに行き、閉園後、半分開いたままになっていた駐車場に進入したが最後、出ようと思ったら見事に門に鍵がかかっていた。
 仕方なく、口実を考えて、宿直の方にお願いして門を開けてもらった。口実は、ちょっとトイレを借りようと思って・・・というものだったが、
「ああ、大学生が世間様に嫌われるはずだ」
 と我ながら思った。
 初めて親元を離れて、一生で一番好き勝手をするのが、日本人の場合、大学生なのかもしれない。そんな自由な時間を懐古し、もしも過去に戻れるのなら大学時代に戻りたいという者は、少なくないだろう。

 僕の大学時代もとても自由な時間だった。ただ僕は、大学時代に戻りたいとは少しも思えない。むしろ大学時代は、二度と戻りたくない時期なのだ。
 漠然と、生き物に関わる仕事がしたいとは考えていたが、本当にそんな仕事に就けるのか?そもそも、どんな仕事が考えられるのか?また、その願いが適わなかった時に、僕はどうなるのか?何をどうしたらいいのか、さっぱり分からず、毎日たくさん遊んでも、心の底から笑うことが出来なかった。
 えも言われぬ不安がいつも心の片隅にあり、そうした不安に答えを出さなければならないリミットが、刻々と迫ってきたのが大学時代だった。
 大学時代には絶対に戻りたくないと、そんなことを考える僕は、例外だと思っていた。だが、今よく思い出してみると、同じような不安を抱えていた者は、意外に多かったのかもしれない。生物学の同級生には、大学を退学する者も、また多かった。
 多いと言っても3〜4人だが、生物学の学生は確か1学年が40人にも満たなかったのだから、割合としてはかなり高い数字になるし、その40人弱は、それなりに束縛される高校生活を体験し、大学生活よりももっと辛いはずの受験を乗り越えてきた者ばかりなのだ。
 それを乗り越えられる者が、自由な大学をなぜ辞めなければならなかったのか?辞めて行った者も、やはり僕と同じように、何か正体不明の、将来に対する不安を抱えていたのではないだろうか?
 一度仕事を始めると、学生時代の不安などついつい忘れてしまいがちだが、ふと思い出すと、就職したり進路を決めることは、本人にとっては、やはり一大事だったのだと思う。

 今日は、大学時代の恩師である千葉喜彦先生を、元研究室の仲間と一緒にたずねた。
 その行きがけに、仲間と学生時代のことを思い出し、
「生物学の先生たちは、誰一人として立派な車に乗っていなかったし、贅沢をしていなかったね。」
 と話しをしたら、先生のお宅で、先生の口から、
「僕はね、金持ちになりたいなどとは、一度も思ったことがないんだよ。」
 という話しが出た。
「研究することは楽しいし、ただ楽しいことがしたかったんです。理学部の学生には、そんなタイプが、他の学部よりもずっと多いはずです。」
 と、先生がおっしゃった。
 僕が生き物の写真を撮りたいのも、原点は全く同じだ。ただそれが好きだから。
 ところがここ1〜2年は、将来的に、十分に家族を養えるだけのお金を稼げるようにならなければ・・・という強いプレッシャーを感じ、金持ちになりたいわけではないが、お金を稼ぐことばかりを考え、それでかなり熱くなっていたような気がする。
 なぜ、今先生に会いに行ったのか自分でもわからないのだが、或いは、一度原点に戻るために、もう一度学生時代のことから振り返るために、先生の元をたずねたのかもしれない。
   
  

 2004.4.24(土) タナゴの産卵

 飼育中のニッポンバラタナゴの水槽の中に、二枚貝を入れてみた。タナゴの仲間は、ちょっと前にも書いたが、二枚貝の中に産卵をするのだ。
 今日の画像の中の、色が鮮やかな個体がニッポンバラタナゴのオスで、地味なものがメスだ。
 メスは糞をしているのではない。産卵管を伸ばし、その管を貝の中に差し込んで卵を産もうとしている。オスは付近で待機する。
 水槽に貝を入れると、タナゴたちはすぐに集まってくる。
 

 タナゴの産卵用の貝は、3種類を準備した。
 まずは、殻の表面に小さなデコボコがあり、それがマツカサのように見えるというマツカサガイ。
 マツカサガイは、丸っこい形をしている。
 それから、ちょっと細長いイシガイ。イシガイの方には、マツカサガイのような表面のデコボコがないので、ツルツルして見える。
 
 それと、ついでと言ってはなんだが、丸いシジミガイの仲間も1つ採ってきた。
 シジミガイの仲間を、タナゴは産卵の場所としてはあまり好まないと言われているので、採集するつもりはなかったが、大きなものが1つ網に入ったので、撮影用に持ち帰ることにした。
 他にも、男性用の靴くらいの大きさのカラスガイの死骸がたくさん見つかったのだが、掘っても掘っても、生きているカラスガイが捕まらない。
 恐らく、僕が採集した場所よりも、もっと水深が深い場所にいるのだろう。

 

 2004.4.22〜23(木〜金) 心の不具合

「雅子さまって、どうしたんだろうね?」
 と、2〜3週間前に、母と話したことがある。僕の母もマサコさまだが、字が違う。雅子さまとは、現在療養中の、皇太子妃の雅子様のことだ。
 すると、昨日、療養中の雅子様の具合がなかなか回復しないのだと、テレビで報道されるのを耳にした。報道の内容は、体の不具合というよりも、気持ちの面での不具合のようだ。現在の皇后様にも、かつて同じような時期があり、
「誰とも会いたくない。」
 と言って、数ヶ月間、別荘に篭って療養された時期があったとも伝えられた。
 僕は、これまでそこまで重症な状態になった時期がないし、自分が活動的に仕事をしていると、そうした心の不具合を主張する人を、怠けているのか無責任をしているのだと思い込んでいたが、どうもそうではないのだろう。体に不具合がおきるのと同じように、心にも不具合があるのだろう。
 自分を責めることなく、のんびりして、早く元気になってもらいたいものだ。

 人の心って、もろいな・・・と、時々思うことがある。
 昨日、レンゲとメダカの写真が思うように撮れなかったと書いたが、たった1つのシーンの撮影が納得できないだけで、突然に、心に隙間風が吹くような無力さに取り付かれることがある。
 メダカとレンゲの写真は、何か企画が進行中で撮っているのではない。だから、かなり気楽な撮影だが、それでも、自信とやる気が簡単に失われてしまうのだ。
 以前は、そうして落ち込んだままの状態が長くて、そのまま1シーズンが終わってしまったような年もあるが、未熟さを露呈する機会があまりに多いからだろうか?
 最近は、うまくいかないことを、比較的楽に受け入れられるようになってきた。
「どうしよう?どうしよう?」
 ではなくて、その日の夜には、
「よ〜し、次はこの手を試すぞ!」
 と、気持ちが前を向くようになってきた。レンゲの時期が終わるので、レンゲとメダカの撮影にもう一度チャレンジできるかどうかわからないが、もしも状況が許せば、あと一日、撮影を試みようと思う。
 僕は運良く、これまで、そうして立ち上がることができた。恐らく、僕が努力をしたのではなくて、自然を相手にすることができたからだと思う。
 だがその実は紙一重で、何かほんのちょっとしたことが原因で、心の不具合に陥る可能性が誰にも同じようにあるのでは?と、ちょっと考えさせられた。

 

 2004.4.21(水) 今年も

 3年続けて撮影にトライしているメダカとレンゲのシーンだが、今年もやはり難しいと感じた。
 メダカの動きを写しとめるには、強くて直線的な光が必要になるし、逆にレンゲを柔らかく写すには、曇り気味のソフトな光がいい。
 ありとあらゆる思い付きを試し、何とか両方ともイメージ通りに撮ろうと試みるのだが、今年もやはり満足のいく写真が撮れずに終わった。
 そうした工夫の1つとして、
「そうだ!スタジオ撮影用の照明を使ってみよう」
 と思いつき、屋外に電源を準備し、その照明も1台ではくて2台を使用して、カメラと照明用の三脚を合わせると、狭い場所に合計で3本もの三脚が立ち並ぶことになった。その他、多くの小道具も使用したので、辺りは、まるで子供がおもちゃ箱をひっくり返した跡のようだ。
 撮影をしながら、後でそれを片付けるのだと思うと、気が重くなるほどの状況になった。
「何とかして撮ってやろう!」
 と思うとカッカしてくるし、体もどうしようもなく熱い。いったい、熱いのは気温のせいなのか、それとも精神状態が原因なのか、自分でも分からなくなる。
 仮に付近に誰かいたら、何もかも誰かのせいにしたくなり、後で、何であんなにイライラしてしまったのだろうと、反省する結果になるだろう。
 こんな撮影の時は一人になり、誰のせいにもできない状況で、撮影するのがいい。一旦、そうした自分をすべて認め、受け止めて、次の機会はもっと冷静でいられるように先をみつめる以外に、出来ることはないように思う。

 午前中で終わるはずの撮影が、何度カメラのファインダーをのぞき直して納得ができる状態にならないので、午後にずれ込み、あと片付けまで含めると、夕方になった。

*撮影データ ニコンD70/マクロ60ミリ

 

 2004.4.20(火) 新緑と滝

 写真家と言えば、被写体とじっくり向かい合い、たくさんの時間をかけて撮影するイメージがあると思うが、人によって時間のかけかたは様々で、短時間でさっと撮影して次々と場所を変えていく人も珍しくない。
 僕は、時間をかけるタイプなので、一番物がきれいに写る時間帯に、一番撮りたい場所で撮影をして、あとはその近辺で撮れるものを適当に撮るといった感じの日が多い。
 ここぞ!という場所を決めるのだ。
 ただ、そうすると天候が外れた日は、全く何も撮れないという結果に終わりがちなので、晴れならここ、曇り〜雨ならあそこと、常に二股をかけるように心掛けている。
 今日は、晴れなら球磨川の河口でアユの遡上を、曇りならずっと山に登って滝を撮影する予定でいたが、僕が好きな時間帯である早朝は雲が多かったので、滝を撮影することにした。
 ちょうど今、新緑が美しい。

 僕は長いこと、植物に対してほとんど興味が湧かなかったので、新緑がきれいだなどと心底感激した記憶があまりない。いつも僕の目は、動物の方に向いていた。
 ところが、ここ1〜2年は、新緑がよく目に飛び込んでくるようになった。別に、人里離れた場所や風光明媚な場所でなくてもいい。自宅から事務所までの間を運転していても、街路樹を見て、春はいいな〜と、しみじみ感じることがある。
 それだけ年を取ったのかもしれないし、或いは、少し仕事をする心にゆとりが生まれつつあるのかもしれない。
 でも、中には新緑を楽しむゆとりがない人も、たくさんいることだろう。新年度から新しい職場で勤め始めた人が、ちょうど5月頃、疲れがピークに達して心身ともに参ってしまう状態を、世間では5月病という。きっと、今、5月病の真っ只中で、新緑なんてとんでもない。何も楽しめない人もいるはずだ。
 自然はやっぱり素敵だと思うし、一人でもたくさんの人と、その思いが共有できればな!と、僕は思う。
「今日は、滝の周辺の緑がとてもきれいだったよ」
 と、聞いてもらえればな・・・と思う。
 新しい環境に飛び込み、5月病に苦しんでいる人も、どうかがんばって欲しい。

*撮影データ ニコンD70/トキナー28-70f2.8

 

 2004.4.19(月) 4月の苔

 僕は食べ物の中では、チーズが苦手だ。
 料理の中に、さり気なく上手く使われているのは構わないのだが、あの匂いがどうしてもダメで、パスタのお店などで誰かに粉チーズを振られると、時に失神しそうになる。
 そう言うと、チーズを好きな人から、
「かわいそう〜、あんな美味しい物が楽しめないなんて!」
 と笑われる。好きじゃない本人にしてみれば、かわいそうでも何でもないのだが、人から見れば、そんなものかもしれない。

 以前に、雨の中での撮影は楽しいと、書いたことがある。その思いに今でも変わりはないし、今日は雨の中で、阿蘇の苔むした滝を撮影した。九州の渓谷の苔は、場所にもよるが、4月中旬から下旬が一年で最も美しい。
 雨の水滴で濡れた被写体は、時に晴れの日よりも強烈な色彩を放ち、雨の中で撮影をする人は滅多にいないので、一人になって集中して被写体に向かい合うことができる。
 贅沢な時間だなと思う。
 それが楽しめず、雨が降り出したら疎ましそうにカメラを仕舞い込む大部分のカメラマンを、かわいそうだなと、今度は僕が思う。そんな時に使う、「かわいそう〜」という言葉は、なんて一人よがりな言葉だろう。

 さて、食べ物の話を書いたが、熊本県は全体に料理がまずいところだなと思う。美味しいのは、地鶏や肥後赤牛の串焼きなど調理をしない食べ物ばかりなので、食べ物がまずいのではなくて、たぶん料理がまずいのだ。
 そう言えば、あるレストランで野菜サラダを食べたら、とても美味しいので感激した。するとしばらく経って、そのレストランが、有機農法で育てた野菜サラダの宣伝をはじめた。僕が美味しいと感じたその野菜は、有機農法で作られた野菜だったようだ。
 時々、それを食べに行きたいと思う。ところが残念なことに、レストランの料理がまずいのだ。
 また、
「田楽なら当たり外れがないよ!」
 と、知人と一緒に田楽が売り物の宿に泊まったことがあるが、田楽に塗られている味噌の中の山椒の味があまりに強過ぎるので参った。
 知人は、もう限界と途中で残したが、僕は、田楽なら当たり外れがないなどと偉そうなことを言った手前、踏ん張って全部食べたら、あとで気分が悪くなった。
 一番美味しかったのは、ただのヤマメの塩焼きで、こちらは丁寧な、見事な焼き上がりだった。
 素材はすばらしいが、細かいところが・・・・。熊本県は、そんなところだという印象が強い。
 熊本県で食事をする時は、なるべく調理をしない、素材そのものを楽しむ食べ物を食べましょう。お金があるのなら、肉を切って出すだけの馬刺しなどが最高だ。

*撮影データ ニコンD70/トキナー28-70f2.8

 

 2004.4.18(日) D70

 ずっと以前のことになるが、友人のホームページが、心無い人たちによって攻撃されたことがある。
 攻撃を仕掛けてきたのは、猫を殺しながらそれを実況中継したことで有名になった、悪名高き、某掲示板の常連の連中だったようだが、それをきっかけに、僕もその趣味の悪い掲示板を時々見るようになった。
 その掲示板には色々と種類があり、「カメラ」だとか、「自然」とジャンルが細かく分類されているのだが、カメラの掲示板をのぞくと、最初は理解できない言葉がたくさんあった。
 例えば、「にこ爺」「きゃの坊」といった言葉がそうだが、意味はニコンを使っているお爺さんとキャノンを使っている坊やということになる。
 確かに、ニコンの使用者にはよく言えば頑固、悪く言えば保守的な人が多く、どちらかというとお年寄りが多い。また、キャノンのユーザーは、よく言えば斬新、悪く言えば軽々しいタイプの人が多く、若者にキャノンを好む人が多い。
 そうした捉え方が、意地悪いと言えばそうだが、ある部分的を得ていて面白いのだ。

 さて、なぜニコンは保守的かというと、ニコンのカメラは、もう数十年間、基本設計を変えていない。だから数十年前に作られたレンズを、最新のカメラに取り付けることができる。
 キャノンは、僕が学生の頃に、それまでの古いシステムをすべて切り捨て、全く新しいシリーズのカメラやレンズを生産するようになった。キャノンがそうした理由は、新しい設計で一から作り直した方が、より高性能なものを作れるからで、その思いきりの良さが成功して、今ではキャノンがニコンを抜いて、プロの写真家の使用機材としては、一番大きなシェアーを占めるようになった。
 ニコンの方は、古い機材を切り捨て設計を新しく変えなければ、もう通用しない!と言われ続けて久しい。ところが、そこからのニコンの踏ん張りがまた見事で、一時は新しいキャノンにグ〜ンと差をつけられた感があったが、最近は、徐々に追い上げつつある。
 そうした中で、先日、ニコンの一番新しいデジタルカメラ・D70を買い、今日は田んぼの周辺で見られる植物や昆虫を撮影した。野外でじっくりと使ったのは初めてだが、とてもいいカメラだと感じた。キャノンにない魅力があるではないか!
 どこがいいかは、また改めて書いてみたい。

 野鳥の撮影のように、超望遠レンズ1本、カメラ1台で、ほとんどの撮影が事足りてしまうジャンルの場合は、一点豪華主義で、設計が新しいキャノンの最新の道具を買う方が手堅いし、楽に写真が撮れるのだろうが、僕のように、色々なものを、色々な状況で撮る者には、ニコンの頑固さはありがたい。
 それとあと一点、これからニコンのデジカメを買う予定がある人にアドバイスをするなら、最新のレンズ(電気接点を持つもの)がなければ、デジカメの機能が十分には発揮できないので、古いレンズを現在使用している人は、結局レンズやストロボも含めてすべて買い直しをすることになると思う。
 その点をよく考えて、購入した方がいいだろう。

*撮影データ ニコンD70/マクロ60
 
 

 2004.4.17(土) 生き物の世話

 去年のちょうど今頃、撮影用のモデルとして、ダンゴムシの飼育をはじめた。
 その時に撮影した写真はすでに本になり、ちょっと前に僕の手元に届いたし、今年は新しくダンゴムシを撮影する予定がないので飼育はしていないが、1シーズンじっくりと撮影してみると、やはり特別な感情が生まれる。今年初めて、越冬から目覚めたダンゴムシが、事務所の付近を這っている姿を見たときには、何ともいえない感動があった。
 それ以前は、ダンゴムシを捕まえてはカメの餌にしていたが、もうとてもそんなことはできない。
 
 さて、明日の朝から3〜4日間、大分県〜熊本県の水辺を取材する予定だが、事務所を空けるので生き物たちの世話ができない。
 以前は、取材に出かけたら、飼育している生き物たちのことはすっかり忘れて撮影に打ち込むことができたが、最近は、飼育室の生き物が気になって気になって仕方がない。
「お腹がすくだろうな。暑くないかな?」
 などと、ついつい考えてしまう。
 大半の生き物は、4〜5日餌を抜いても死ぬことはないので取り越し苦労かもしれないが、例えば、カタツムリが一匹死んでしまうとすぐに腐敗をするので雑菌が湧き、他のカタツムリにも影響が出かねない。
 取材から帰ってくるまで、無事でいて欲しい。
 野外での撮影にはもちろん行きたいが、すこしだけ悲しくて、後ろ髪をひかれる思いだ。
 餌は与え過ぎると、残ったものが腐り、逆に良くない。だから、ぐっと堪えていつも通りの量を与える。それから出来ることはすべてやっておこうと考え、意外に暑さに弱いカタツムリを室内の一番涼しい場所に、飼育室から移した。そのための新しい棚も買った。
 
  

 2004.4.15〜16(木〜金) お腹いっぱい

 福岡県のローカルな番組で、男性がお嫁さんを募集する番組があるが、昨日は、僕の高校時代の同級生のY君が出演していたので驚いた。
 番組に出演する男性は、自分の希望や趣味や、お付き合いする際の予定のデートコースなどをアピールするが、趣味と言えば大体相場が決まっていて、ドライブや買い物や映画・・・といった声が圧倒的に多い。
 僕の場合は、取材に出かける関係で年間に4万キロ以上運転するが、その距離が長いからだろうか、仕事以外ではなるべく車に乗りたくないし、ドライブはまず趣味になり得ない。
 だが本来は、恐らく運転は嫌いではないと思う。ただ日頃、あまりに運転する距離が長くて、きっと、お腹がいっぱいなのだ。
 買い物も同じで、なるべく買い物には出たくない。
 これも、本来は嫌いではないと思うが、日頃、撮影の際の小道具を工作するような機会があり、ホームセンターなどに出かけることがあまりに多くて、
「もう買い物は結構!」
 という気持ちになっているのだと思う。
 が、ふと高校生や大学生の頃を思い出すと、ドライブに行ったり、買い物に出かけたり・・・、テレビに出演した同級生のY君でもないが、好きな人ができた時には、一通りオーソドックスなデートコースを楽しんだものだ。
 仕事は楽しいし充実しているが、やはりプレッシャーもあり、自分なりにいっぱいいっぱいで、心に余裕がない。運転嫌、買い物嫌は、どこか仕事を忘れる時間も欲しくて、仕事とは違うことに安らぎを感じているのだろう。

 買い物に出たくない僕にとって、インターネットでの買い物はすばらしい。
 よく利用するのは、ヨドバシカメラのサイトで、ヨドバシは、カメラやレンズなどだけでなく、レンズを拭く布などの小物まで、画像付きで選びやすく買える点がありがたい。また、多くの商品は送料が不要で、博多の町まで出かける際の交通費を考えれば、安くあがる。車で5分走れば、付近のカメラ屋さんで買えるものでも、ついインターネットを使う。
 ヨドバシカメラは、物を買えばその分ポイントがつき、ポイントは次回の買い物の際にお金に還元される。そして、ポイントで還元される額を加味すると、大体一番安いレベルになる。
 欠点は、商品を買った際に貯まるポイントが、インターネットショッピングでは使えないことで、ポイントをお金に換えるためには、店頭で買い物をする必要がある。だから、ポイントがある程度貯まると、仕方なく、そのポイントで買い物をするために、博多のお店まででかけることになる。
 昨日は、そうして博多に出かけ、ニコンのデジタルカメラ用のソフト・ニコンキャプチャーをポイントで購入し、今日は、そのソフトを、事務所のパソコンや取材で持ち運ぶノートパソコンに導入して、使い方を確認した。
 また、ニコンのデジタルカメラをパソコン上で見るためのソフト・ニコンビューをニコンのホームページからダウンロードして、やはり2台のパソコンに導入した。
 パソコンが不可欠な時代になった。

 

 2004.4.14(水) 何が分かるの!

 ドラマの中で、喧嘩をして言い争いになったようなシーンの時に、
「あんたなんかに、私の何が分かるの!」
 というセリフをたまに耳にする。確かに、日常生活の中で、他人に自分の思いを分かってもらえずに、そんな気持ちになることが誰しもあるだろう。
 だが、自分で自分のことは、意外に分からないものだとも思う。
 今日は、NHKの方が事務所にお越しになりインタビューを受けたが、その中で質問に答えているうちに、
「あ、僕はそんなことを考えていたんだ!」
 と、気付かされたことがたくさんあった。

 僕は、ひたすらに写真を撮っている時間が長くて、人付き合いは極めて悪いが、たまに人と話をする時間は、とても楽しい。ちょうど忙しいシーズンに突入して、
「あ〜仕事が多いな・・・」
 と、若干混乱しつつあったので、いい間が取れたと思う。
 今シーズンは適度に間を撮りながら、自分を追い詰めすぎずに、常に一番いい緊張感で写真を撮りたい。
 
 

 2004.4.13(火) 安ら

 センサーを傷つけてしまい、修理に出していたペンタックスのデジタルカメラが帰ってきた。
 料金は無料。
「傷ではなくて、汚れでした。」
 と、報告があった。
 カメラ内部の清掃中に物がセンサーに触れてしまい、傷がついたように見えたのだが、物が触れた時に、その表面の汚れが付着したのだろう。
 昨日、ニコンのデジタルカメラ・D70が届いたと書いたばかりだが、これで少なくとも2年くらいは、新しいデジタルカメラを買う予定はない。ニコンD70とペンタックスist*Dを、じっくりと使いこなしてみようと思う。
 被写体をぼかさずに、カチッとしたシャープな画像が欲しい時にはニコンを、柔らかくて温もりのある写真が撮りたい時にはペンタックスを使うように考えているが、今日のような画像は、ペンタックスがいい。

 今日は、まだ午前中だというのに、日記を更新しようとしている。午前中の撮影で、すっかり疲れ果ててしまったのだ。
 撮影したのはレンゲとアマガエルの写真で、先日も同じ組み合わせの画像を掲載したが、その時にはスタジオ内にレンゲのセットを作って撮影した。今日は屋外で、自然の光で撮影してみたが、屋外には風があり、シャープな写真を撮るために、風が止むのを待たなければならないので、とても疲れるのだ。
 単に花を撮るのであれば、屋外での撮影も大したことではない。が、同時に逃げる生き物を撮影しようとすると、風が止んでいる時に生き物が逃げ出したり、生き物がじっとしている時に風が吹いたりと、二乗三乗に根気が要求される。
 そうした撮影を終えると神経が疲れていて、もう他の撮影に取り組む集中力は残っていないことが多い。そこで、
「今日はこの撮影だけ」
 とあらかじめ決めておき、集中してカメラを持つ。

 お勤めをしている人が、早く仕事が終わると、恐らくとても嬉しいのではないだろうか?お勤めの場合、仕事が時間いっぱいあっても、早く終わっても、通常は同じ給料をもらうことになる。
 だが、写真家の場合はそうではないのだから、仕事を早く切り上げても、必ずしもそれが安らぎの時間になるとは限らない。僕は、大体心配性なので、むしろ休んでいるよりも、撮影をしていた方が楽なことが多い。
 ただ、今日は話が別だ。今日撮影した写真は、絶対に売れる自信がある。そんな間違いなく売れる写真を撮った時にはそれで満たされるし、早く仕事が終わることが心地いい。
 
*撮影データ ペンタックスist*D/FA マクロ100ミリf2.8

 

 2004.4.12(月) 

 現在飼育中の生き物の中には、撮影の時期が差し迫っているものが多いが、野外で写真を撮ったり、見たいものもあり、どちらにしようか?と悩ましい。
 今日は、野外の方を選択し、今シーズンに撮影する予定の虫の卵と、昨日も書いた2枚貝を探しに行くことにした。
 虫の卵の方は、思いがけないところで知人がすばらしい情報を持っていて、明日案内してもらえることになった。
 そこで、貝を探すことにしたが、たくさん痕跡がある場所を見つけたのに、今日出かけてた、北九州の小倉の周辺の水路には、川に下りられる場所がほとんどないので困り果てた。小倉にある山田緑地公園で、虫の卵を探したかった関係で、都会である小倉周辺の水路で貝を探すことになったが、貝はやっぱりちょっと田舎の方で探そう。
 それにしても、川に下りたいという僕の都合は差し置いても、探しても探しても川に降りられないというのはいかがなものだろうか?降りられれば、子供が降りて事故に合うという理由かもしれないが・・・
 
 注文していたD70が届いた。噂通り、なかなかいいカメラだ。気に入った!ちょうど手足が生えたカエルが水槽の中にいることだし、早速撮影してみた。
 
*撮影データ ニコンD70/マクロ60/ストロボ2灯

 

 2004.4.11(日) 
  
 飼育中のタナゴのオスが、鮮やかな婚姻色に染まり始めた。タナゴは貝の中に産卵をする面白い習性を持つ淡水魚だ。
 貝は、しじみを特大にしたような種類が国内には数種類生息し、そうした大型の二枚貝がタナゴの産卵場所になるが、二枚貝を水槽内で長期間維持するのは極めて難しいとされている。
 だから、タナゴを繁殖させるためには、タナゴの側の繁殖の準備が整ってから貝を水槽に入れ、短い期間でサッと卵を産ませ、貝が弱る前に稚魚を孵化させ、貝をまた元の場所へと戻さなければならない。
 今日は、その貝を探しに、川へ出かけてみた。

 ふと思い返してみると、淡水にすむ貝を掘った記憶は、小学校の時以来一度もない。そこでまず、小学生の時に最後に捕まえた記憶がある場所へと行ってみることにした。
 僕が通った直方北小学校の裏を流れる遠賀川の中洲を掘ったら、ザクザクと10センチほどの黒い貝が出てきたことがあったのだ。母にそれを見せたら、
「うわ〜大きなシジミ!」
 と驚いていたので、今でもよく覚えている。
 だが今日は見る影もなく、死んだ貝殻も目に付かないので、きっとその辺りには貝がすめなくなってしまったのだろう。多分そんな結果に終わるだろうとは思ってはいたが、どうしてもそこから探してみたかった。
 それから、もっと確率が高そうな場所を考えてみた。
 魚は、大きな川に支流が合流する辺りに数が多いので、そうした場所が水中の生き物にとっていい環境であるに違いないし、まずは遠賀川とその支流との合流点を探してみた。
 すると、水中の土の中からブクブクと泡が出て、同時に水が吐き出されているのが見える。きっと、貝が隠れているのに違いない。
 だが、その辺りをザクっと掘ってみたが、予想に反して全く何も見当たらない。そうして数箇所を探して回ったが、とうとう日が暮れて、時間切れに終わってしまった。

 淡水にすむ2枚貝は、シジミを除いて、通常食用にされることはない。また、魚のように飼育して面白いわけではないし、日頃滅多に注目されることがない生き物の1つではないだろうか?
 第一、いつも水の中の土の中に隠れているのだ。探そうという意識が人の側になければ見つからないし、いなくなってしまっても、ほとんど誰も気付かないだろう。
 小学生が、簡単に、あんなにたくさん捕まえることができたものが、今ではいなくなってしまうのだから悲しいものだ。
 母は、それを見て、
「大きなシジミだね。」
 がと驚いたが、いっしょに貝を掘った友人は、
「これはカラスガイだよ。」と言っていた。その貝は、本当にカラスガイだったかもしれないし、他の似た種類の貝だったかもしれないが、小さな子供がカラスガイという名前を知っていたのだから、今思い出してみると、ただただ驚かされる。
 今の小学生に、カラスガイという名前を知っている子供がどれくらいいるのだろうか?

 

 2004.4.9〜10(金〜土) 湊和雄さん
  
 今日から北九州の皿倉山・市民ギャラリーにて、5月31日まで、沖縄在住の自然写真家・湊和雄さんの写真展が開催される。市民ギャラリーは、帆柱ケーブルの山頂側の到着駅を降りたその場所にある。
 昨日は、湊さんが福岡までお越しになり、僕は、展示作業に参加するために、午後から皿倉山に向かった。
 琉球列島の生き物や風景を写した約60点のプリントは、短い方の幅がおよそ60センチもあるのだから、大きくて大変に迫力がある。それがすべて湊さん自身の手で、パソコンを使って作られているが、展示作業を手伝いながら、突然に、僕も自分で作ったプリントで、写真展を開催してみたいような気がしてきた。手伝いに行ってよかったし、また声をかけてもらえてよかった。
 湊さんを皿倉山に呼んだのは、写真家であり、書家でもある四宮祐次さんだ。
 僕は字が下手糞だが、字は好きだ。四宮さんから、
「どこどこに使用されている字は、俺の字なんだ!」
 と、いろいろな話を聞かせてもらうことができ、これもまた楽しい思いが出来た。

 僕は写真展があまり好きではない。
 好きではない理由はいくつかあるが、その中の1つに、写真を業者に送りプリントを作ってもらったとしても、まず自分が思うようなプリントに仕上がってこないことがあげられる。出来上がったプリントを受け取り、最初に見て、
「僕のイメージと違うんだよな・・・」
 と、何度悲しい気持ちになったことか。プリントの際には細かく指示を出すが、それにも限界があるし、
「仕方がないかな・・・」
 といつも諦める。
 有名な有名な三好和義さんなどは、写真展の際のプリントは、気に入るまで何度も何度も作り直しをしてもらうと、何かの本の中に書かれていたが、プリントは、プリントをする人の具合によって、かなり違ったイメージになるのだ。
 僕は三好さんのように、何度も作り直してもらえるような立場にないし、そこまでやってもらいたいのであれば、
「三好和義クラスの写真家になれよ!」
 ということなのかなと、考えた時期もあるが、それが今や自分で作れる時代になったのだ。湊さんの場合は、一枚が2000円以下のコストでプリントを作ることができるそうだ。

 

 2004.4.8(木) ショック
  
 今日は、1つショッキングな報告がある。ペンタックスのデジタルカメラの画像を記録するイメージセンサーに、傷がついてしまったのだ。
 事件は昨日の夕方、カメラの中のイメージセンサーに付着したの埃を、エアーダスターという道具で取り除こうとした時に発生した。
 エアーダスターは、ボタンを押すと勢いよく空気が出てきて、その圧力で埃を吹き飛ばすための道具だが、空気が出てくる部分に取り付けられたストロー状のノズルが空気の圧力で吹き飛んでしまい、センサーを直撃してしまったのだ。ちょうどホースを取り付けた水道で、強く水を出しすぎると、水圧でホースが蛇口から吹っ飛んでしまうのと同じことが起きた。
 今日は、大急ぎでカメラを修理に送ったが、10日ほどかかるそうだ。

 それにしても、エアーダスターでそのようなトラブルが生じたのは、僕は初めての事だ。それがよりによってとてもデリケートな内部を直撃するとは!
 唯一の救いは、決して僕が雑に作業をしていた訳ではないことだろうか。自分の雑さから、機材にトラブルが生じて修理が必要になった時は、
「あ〜、無駄なお金が・・・」
 と、修理代が勿体なくてたまらなくなるが、今回は、極めて慎重な作業の結果、思いがけないアクシデントに見舞われたのだから、まだ諦めがつく。
 みなさん気をつけてください。
 ふと、エアーダスターも時には凶器になりうることに気付いた。たとえば、小さな子供に、
「空気が出るよ〜」
 などといって、エアーダスターから勢いよくでる空気を吹きかけて遊んでいるような時に同じアクシデントが起こってしまったなら・・・、下手をすれば子供の目にノズルが突き刺さり、失明してしまう危険性があるではないか!
 負け惜しみっぽいが、そんな危険に気付かせてもらったいい機会でもあるような気もする。
 
 それから、ニコンのデジタルカメラ(D70)を1台注文した。カメラが1つしかないと、今回のようなアクシデントで何も出来なくなってしまうので、やはり2台は必要だと感じた。
 実は、かなり前からニコンのD70買おうかと迷っていたのだが、これで背中を押されたように購入する気持ちになった。
 D70は、一番安いお店で10万円強で買えるのだから、一昔前に比べれば信じられないほどデジタル一眼レフが安くなったことを、改めて実感した。
 
 

 2004.4.6〜7(火〜水) カタツムリの卵
  
 飼育中のカタツムリが卵を産み始めた。カタツムリは卵を土の中に産み落とすが、今回はその卵を掘り起こして、乾燥して死んでしまわないように湿った紙の上に保存しておき、孵化の際には、白い紙の上に置いて撮影してみようと思う。
 通常、白いバックの上で生き物の写真を撮るのは、図鑑のように生き物の形態を分かり易く説明したい時か、或いは生き物の部分だけを写真の中から切り抜きして、他の写真と合成したり、切り抜き写真として使いたい時だが、今回のカタツムリの孵化は、そうした実用的な写真ではなくて、誕生のイメージを表現した遊びとして撮影したい。

 今日は、子供の本向けに、カタツムリが越冬から目覚めるイメージを撮影してみた。
 枯葉の中で眠っていたカタツムリが雨の日に目覚め、春の植物の茎を登り始めるという展開で撮影したが、朝準備を始めて、2つのシーンを撮影したら夕方になった。
 いつも思うことだが、撮影にはなかなか時間がかかる。
 本当は、今年、カタツムリが目覚めたのは、ずっと前のことだが、その目覚めや春を表現するためには、何か春を象徴するものが写真に写っていなければならない。そこで春の植物が出揃うのをまって、本当の目覚めではなくて、春のイメージとして撮影することにした。

 

 2004.4.4〜5(日〜月) 早死
  
 写真家は、亡くなると、比較的それが知れ渡りやすい職業ではないだろうか?
 死んでも、それまでに撮り貯めた写真は残るし、追悼の企画が組まれたり、周囲の人が遺作という形で写真集を発表をすることもある。
 情緒的な作風でよく知られていた木原和人さんは、若くして亡くなられたし、他にも、そうして考えると数人の若くして亡くなられた写真家の名前が浮かんでくる。
 中には、ハクチョウの写真を撮っておられた方で、20代で癌で亡くなられた方もおられた。追悼の写真集を僕も持っているが、病と闘いながら、無理をしてまでも白鳥の撮影に取り組んだ闘病記が、家族によって綴られていた。
 だからだろうか?
「写真家って、早死が多いな〜」
 と、縁起でもないことを、一瞬考えることもある。
 一昨日、胃腸の検査をしたばかりだが、何事も早め早めに検査しようと考えたのは、写真家=早死というイメージが、どこか頭の中にあったからかもしれない。 
  僕は、もしも不治の病に犯されたら、写真は即座にやめるだろうと思う。その時は、家族や大切な人と、残りのすべての時間を過ごしたい。日頃の僕は、家族や仲間と過ごす時間は、極めて短い方で、いつもいつも写真を撮っているタイプだと思うが、写真は明日があるなら撮りたいのだ。

 さて、体の検査の疲れがようやく取れて、今日は、カメラを持つ力が湧いてきた。ちょうどレンゲが咲き始めているので、春の田んぼのイメージで、アマガエルと一緒に撮影してみた。

 

 2004.4.3(土) 体の検査

 ここのところ夕食を食べる時間が遅くて、夕方ではなくて夜の10時頃にずれこんでしまう日が多くなっている。その間に間食をすればいいのかもしれないが、僕は間食が嫌いなので何も食べずにいると、空腹時に、お腹に違和感を感じるようになった。
 その違和感を感じる時間が、次第に長くなっているような気もする。 
 食事の時間は改めればいいだろう。ただ、もしも、その違和感が食事の時間のせいではなくて、何か大きな病気の前触れであってはならないので、今日は、胃と腸の検査をしておくことにした。
 様子を見ながら、もう少し症状がひどくなったら検査をしようかと思っていたが、4〜5月は野外での仕事が多いし、その間にもしも検査が一日でも入ってきたら、かなり撮影に差し障る。そこで、手堅く今のうちに検査をする選択をした。
 お勤めの人と違い、僕は日頃、定期健診を受ける機会がないし、ちょうどいい機会だっただろう。昨晩から下剤を飲み、お腹の中を空っぽにしておき、バリウムを飲み、レントゲン検査を受けた。
 検査の結果、決定的に悪い場所は見つからなかった。そろそろ一番忙しい時期に突入するが、これで集中して、撮影に望むことができる。
 ただ、やはり空腹の時間帯が長いことが原因ではないかと思うが、十二指腸が多少疲れているらしい。気をつけよう。
 
 検査の際に飲んだバリウムを出やすくするために下剤を飲んでいるので、今日は、うかつに外の出かけることができない。だから、自宅で、一日ゴロゴロして過ごすつもりでいたし、その時間をそれなりに楽しみにもしていたのだが、あまりに退屈なので、事務所まで車を走らせ、生き物の世話をしておくことにした。
 自宅から事務所までは30〜40分時間がかかる。その間にもしも来てしまったら?と、多少ドキドキしたが大丈夫だ。

 

 2004.4.2(金) 勘違い

 昨日、ホームページを更新する際に、
「明日の木曜日は・・・」
 と書こうとして、ハッと気付いた。
「木曜日は明日ではなくて、今日じゃないか!」
 本来の予定では、木曜日には福岡県の田主丸(たぬしまる)町まで移動をすることになっていたが、うっかり一日勘違いをして、熊本県の田んぼで、一日余分に撮影を続けてしまったのだ。田主丸町には、街路樹や庭木を扱う業者さんが多く、そこである虫について調べごとをしたかったのに・・・。

 ある虫とは、枯れ枝に卵を産み、木の根っこに幼虫がくっついて生活する昆虫で、今シーズンの間に、卵から幼虫が孵化する様子と、土の中で幼虫が暮らす様子を撮影したい。
 そして、枯れ枝に産み付けられた卵を探すためには、木に脚立をかけたり登ったりする必要があるに違いないが、公園や街路樹などでそのようなことをすると、何か悪さをしていると勘違いされかねない。また、木の根っこで暮らす土の中の幼虫を探すためには、木の根を掘らなければならないが、木の根を掘る行為は、誰が見ても怪しい行動だろう。
 そこで、庭木の業者さんにお願いをして、育成中の樹木を見ることができれば、存分に枝を観察できるだろうし、庭木をどこかに移植する時に立ち合わせてもらえれば、木の根っこの幼虫をじっくりと見ることもできるに違いないと考えた。
 つまり、今シーズンの撮影のための大切な下準備の日だった。
 幸い、昨日はホームページの更新の時間が早くて、昼食を食べながらパソコンに向かっていた。すぐに作業を終え移動をすれば、夕方になる前に田主丸町まで行けそうだ。そこで、全速でホームページの更新を終え、田主丸町に移動をして、さっそく街路樹の業者さんをあたってみたら、残念ながら、僕が探している種類の木を扱っておられる方は、田主丸町にはおられないようだ。
 樹木の組合の方にたずねてみたら、
「その種類の木なら、熊本か宮崎だね」
 と、返事が返ってきた。
 近日中に、宮崎県まで出かけてみよう。
 
 今日は、事務所で飼育中の生き物の世話をした。
 出かける前には、ほとんど足が生えていなかったニホンアカガエルのオタマジャクシには、ほんの4日間留守をしている間に、どれも立派な足が生えているではないか!カスミサンショウウオは、一目見て分かるくらいに、ずっと大きくなっている。
 飼育は、しばしば、野外での撮影の手枷足枷になるが、帰宅をして数日ぶりに様子を見る時には、なんとなく楽しい。

 

 2004.4.1(木) 春・いろいろ




 今朝、撮影を終えて車に戻ろうとすると、
「ウッ、これは臭い」
 と、あまりの臭さに、どんな色や形をしているのか確かめたくなるような、強烈なウンコの匂いに気付いた。
「しまった・・・踏んでしまったか」
 そうでもしない限り、こんな臭い匂いはあり得ないと思い、一歩足を踏み出してみたら、いつも通りの感触で、特別に足が重いわけでもない。恐る恐る足の裏を確認したが、大丈夫だった。
 付近を捜してみると、厳密には探すまでもなかったが、大きな糞があった。その大きさから人間かな?と疑ったが、中に動物の毛がたくさん含まれているので獣だろう。犬か何かだろうか?
 仮に犬だったら、こんな大きな糞をするのは・・・
 今日で4日連続して、同じ田んぼの周辺で撮影を続けているが、人里付近では、犬の散歩をする人もいるし、中にはお腹の具合が急に悪くなり仕方なくという人もいるので、稀にうんこを踏んでしまうトラブルに見舞われる。
 里は、山の中よりも、足元には油断ができない。

 これまでは、定点撮影のために月に一度だけ撮影してきた田んぼだが、一年間通ってみると、いろいろな物が見えてきて、もっと掘り下げてじっくりと撮影してみたいと思うようになったのだ。
 残念ながら撮影ができるのは、今年いっぱいで、その後は区画整備が行われ、今は一枚一枚が小さな棚田が、機械が入りやすい大きくて平坦な田んぼに様変わりするようだ。三脚を手に、田んぼの周囲を歩いていると、昨年は何度も工事の業者の人だと間違えられ、
「いよいよですか?」
 と、農家の方に声をかけられた。
 去年の段階で、今年撮影ができるかどうかも未定だったが、田んぼが耕されているところを見ると、工事は来年からはじまり、今年までは撮影が可能なようだ。
 岩を積んで石垣のようにして作られた曲がりくねった小さな水路も、来年にはコンクリートの真っ直ぐな水路になってしまうのだろう。水路の水通しが良くなると、ちょうど今の時期、水路の中で見られるニホンアカガエルのオタマジャクシも、姿を消してしまうのかもしれない。また、水路の底が、土からコンクリートになると、ドジョウもいなくなってしまうだろう。
 ただ、田んぼは、あくまでも稲を育てる場所なので、残念だが仕方ないことだと思う。
  
  
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2004年4月分


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